部長 澤 正良
監督 澤 正良
メンバー |
学年 |
投 田島 全剛 |
3 |
捕 松川 正樹 |
3 |
一 崎尾 敬三 |
3 |
二 神谷 富雄 |
3 |
三 三島 正義 |
2
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遊○森川 誠 |
3 |
左 片山 幹敏 |
3
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中 折笠 義則 |
3 |
右 大橋 正典 |
3 |
磯村 芳幸 |
3 |
大場 利之 |
3 |
岡島 茂樹 |
3 |
加藤 哲一 |
3 |
稲生 豊 |
3 |
鷹羽 正次 |
2 |
赤井 俊則 |
1 |
山根 淳一 |
1 |
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■本格派の田島、崎尾の両輪が揃い、大型キャッチャーの松川、長打力抜群の片山、元巨人の江川、元中日の中尾らとともに日本学生野球協会から表彰を受けた4割バッター森川。史上最強の呼び声高いメンバーが集結した。
春の県大会はセンバツ帰りの元巨人の山倉を擁する東邦に対し、森川の サヨナラヒットで4対3で勝利し、3位の成績を残した。京都から浜松まで全国の名門との練習試合でも連戦連勝。甲子園へ続く道は、一点の曇りもないように感じられた。迎えた夏の県大会、準決勝で2年連続甲子園出場を狙う中京に逆転勝ちを収め、東邦との決勝戦へ。試合当日は、朝から雨が降り続いていた。初回、軟弱なグラウンドでアンラッキーなイレギュラーバウンドやデッドボール、テキサスヒットなど不運が重なる。ノーアウトで4点を失った。焦りが出るのも無理はない。最終回満塁のチャンスをつかんだがボールに手を出してしまいゲームセット。1対5で敗れ、夢の甲子園出場は露と消えたのである。
■ 監督エピソード
夏の県大会決勝戦当日は、朝から雨で、決行か中止か二転三転した挙旬、決行に決まりました。東邦はユニフオームを着たまま、マイクロバスで来ました。我が校は、電車に乗って学生服で来ました。球場でユニフォームに着替えたが、中止と決まり、再び学生服に着替えるとまた決行と変更され、雨で濡れたユニフォームに、また着替えました。一度着た戦いの鎧を脱いでしまいました。また、東邦はこの試合に限って主力選手全てを大府中学をはじめ近隣出身の選手をずらりと並べました。大府高校でありながら、大府出身のチームと戦っているような雰囲気で、意識させようという意図があったと思います。初回の不運も重なって、最強メンバーでありながら、甲子園出場を果たすことができませんでした。いまだに悔やまれてなりません。この年の主力選手でキャプテンの森川は、昭和49年1月、初めて日本学生野球協会から表彰を受け、また本校から初めて慶應義塾大学へ進学しました。松川は愛工大へ進学し、大学の部で日本学生野球協会の表彰を受け、また東京の大学以外でただ一人、日米対抗全日本学生選抜チームに選ばれ活躍しました。崎尾も愛工大進学後、2年の時に神宮球場で法政の江川と投げ合い好投し、プロからの注目を浴びました。田島は中京大へ進学、3年の春には1シーズン8勝を上げ、愛知6大学タイ記録を達成、MVPにも選ばれました。片山はノンプロの新日鉄名古屋へ進み東邦から来た新美とともに活躍しました。又野球では控えの選手であった磯村は、プロゴルファーとなり昭和61年関西オープンで優勝するなど卒業後もそれぞれ大府の名を世間に知らしめてくれました。このように甲子園出場こそな'りませんでしたが、主力選手が各方面で活躍してくれたことがせめてもの救いでした。
■第25回愛知県大会(秋)
1回戦 13-3 瀬戸窯業
2回戦 8-0豊川
Aゾーン決勝 4-7 東邦
■第34回全尾張大会(秋)
1回戦 25-O 小牧工
2回戦 9-0 半田
3回戦 6-1 長久手
準決勝 9-0星城
決勝6-1 中工大付
■第23回愛知県大会(春)
1回戦 10-0 名電工
2回戦 4-3東邦
3回戦 6-5 岡崎工
準決勝 4-6享栄
■第35回全尾張大会(春)
1回戦 11-0 瀬戸窯
2回戦 13-0 稲沢
3回戦 17-0 木曽川
準決勝 5-1 尾北
決勝 5-0 長久手
■第55回愛知県大会(夏)
2回戦 8-1 名城大付
3回戦 10-O小牧
4回戦 1-0 岡崎北
準々決勝 7-1 名学院
準決勝 6-2中京
決勝 1-5東邦
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