部長 澤 正良
監督 澤 正良
メンバー |
学年 |
投 浜島 繁 |
3 |
捕 川瀬 仁 |
3 |
一 阪野 昌俊 |
2 |
二 深谷 博彦 |
1 |
三 近藤三千男 |
2 |
遊〇手島 康 |
3 |
左 山盛 常実 |
3 |
中 新海 学 |
3 |
右 加藤 善永 |
2 |
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■浜島と阪野の2枚看板に加え近藤、手島、新海と総勢5名社会人選手を送り出したのは初めてでチームとして手ごたえを感じていた、夏の県大会はベスト8決めた後、準々決勝では小牧戦、愛知の高校野球初の ナイターゲームとなった(中日球場)4対0で完封、決勝をかけて豊橋工と対戦試合は浜島が好投し1対1のまま延長に突入10回に決定的ともいえる2点を入れたがその裏3点を奪われ惜しくも惜敗した。
浜島は卒業後ノンプロ日鋼日立、また主将の手島は中京大~ノンプロ電々東海へ、新海はノンプロ日通名古屋へ進みそれぞれ活躍した。そして、この34年9月26日は忘れられない伊勢湾台風があった、選手やOBのご家族にも多大な被害にあわれた方も少なくなかった、この秋の全尾張大会と県大会は中止となった
■ 監督エピソード
その1
初めてベスト4に進めた豊橋工戦、大府には応援部はありませんでした、女子バレー部が友情応援を買って出てくれました、しかしもちろん専用コスチュームはありません、そこでバレー部のユニフォームで応援してくれました、すると試合後高野連から「腿(もも)を出し過ぎでのブルマー姿の応援はいかがなものか」と注意を受けました、当時はブルマーといっても半ズボンのような形、時代が古かったのでしょうね、その時のバレー部は昭和39年夏の初めての甲子園でも応援にきてくれました、もちろんブルマーではありません。

「その2」
伊勢湾台風のとき手島は大府高校野球部のユニフォームだけ持って濁流の中を逃げたそうです、今だから話せるが野球選手として見どころがあると思ったことを覚えています、又、夏の暑い日のノックでユニフォームを脱いでパンツ1枚でノックを受けようとしました、さすがにこのときはこちらが圧倒されました小柄ながら個性あふれる異色の選手でした昭和39年の甲子園出場時は中京大4年で学生コーチとして終了まで下級生の面倒を見てくれました。
第12回愛知大会(秋)
全尾張大会(秋)の2大会は伊勢湾台風のため中止
第9回全尾張大会(春)
1回戦 10-0 木曽川
2回戦 2-0 一宮
3回戦 2-9 常滑
第42回愛知大会(夏)
2回戦 8-1 本郷
3回戦 3-2 国府
4回戦 3-2 津島商工
準々決勝 4-0 小牧
準決勝 3-4 豊橋工業
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